しましまな日々

12ステップを通じた問題からの回復について

埋め合わせで起こったこと

「埋め合わせ」という言葉は私にとって12ステップの恐怖の象徴のようなものでした笑

これまで、いくつかの埋め合わせをさせていただきましたが、その経験を全て書こうとするとキリがないので、なるべく簡単に簡潔に書こうと思います。

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埋め合わせは「罪悪感」「後悔」に決着をつけるステップ

埋め合わせと聞くと「土下座」や「平謝り」などが出てくる人もいると思いますが(かつての私です)、現在はそういうイメージを持っていません。埋め合わせは自分が性格上の欠点を使って生きたことによって人を傷つけたことにより発生し、心に残っている罪悪感と後悔に決着をつけるものです。

私がスポンサーから何度も念を押された大切な言葉があります。それは「無意味な埋め合わせをしてはならない」ということでした。埋め合わせは自分の罪悪感や後悔に決着をつけるものであって、相手に対してはあくまで「やらせていただいている」ものである。なので、上から目線の埋め合わせや、何をやっているかよくわからないような埋め合わせはしてはならない、と何度も念を押されたのでした。それは、他者を自分の罪悪感と後悔をなくすための道具扱いはしてはならない、ということだと現在理解しています。

普段は放任型のスポンサーがここは何度も念を押したので、重要なことだと理解することができました。

 

埋め合わせをするためにはステップ4・5を効果的に経験する必要がある

AC傾向のある人だと「なにもかも自分が悪かった」と自分いじめを「埋め合わせ」と称することもあるかと思います(私のことです笑)。しかし、それは古い生き方を使っているだけです。

ステップ4・5で自分のこれまでの性格上の欠点を使った生き方のパターンが理解できでこそ、自分が人を傷つけたことが理解でき、そして誰をどうやって傷つけたか、なぜ傷つけたのかがわかりはじめるのだ、と私は考えています。

それを理解していなければ「とりあえず私が全部悪いのです」といったもやっとした埋め合わせや、相手に「許し」を要求するような埋め合わせ、相手を自分に都合のいいように「変えようとする」利己的極まりない埋め合わせ、などにになってしまうのではないかと思います。

そのような埋め合わせでは、罪悪感と後悔はなくなりませんでした。なぜそれがはっきりわかるかというと、私はアディクションを使っていた時、米つきバッタのように頭をさげて謝り、結果として言い訳して相手に「許し」を要求する行動を取り、また相手の態度を変えようとし続けていましたが、そのように謝っても謝っても人生はどうにもならなくなり続けたからです。埋め合わせの本質は、そういったいいかげんな謝罪にはないことは明らかでした。

 

生き方を変えなければならないのは相手ではなく私の方ですし、埋め合わせをすべきなのは相手ではなく私なのです。 

それにしっかり気づくためには、ステップ4・5で自分のこれまでの生き方のパターンを明らかに理解し、そして自分は被害者ではなく問題の当事者であるという視点の転換が必要でした。その土台があってこそ、何を誰に埋め合わせしなければならないのかがわかり始めるのだと私は思います。

もちろん、完全にわかるなんてことはありません。日々、ステップ10において理解し続けることです。ステップ4・5はその始まりでした。なので、埋め合わせの前提はステップ4・5です。

 

ステップ6・7が習慣化しているかどうか

ステップ4・5で自分の性格上の欠点を使った生き方のパターンが明らかになりましたので、そこから私はステップ6・7でそれとは反対の新しい生き方の今日1日づつの実践に入りました。それはやったことがないことなので、かなりしんどいものです笑 

共同体の支えと自分なりに理解した神への信頼と依存の中でやらせもらっています。ここでも、自分には決して出来なことを自分を超えた力は導いてくれています。

 

ステップ6・7が習慣化できていないと、人の足を踏みながら埋め合わせをすることになってしまう可能性があると思っています。性格上の欠点を使って傷つけたことを、性格上の欠点を使いながら埋め合わせしてよいとは思えません。なので、性格上の欠点を完全に使わなくなることはありえないのですが、新しい生き方が最低限安定する必要がありました。

 

同時に大切なのは、スポンサーに言われたことです。「アルコホーリクは人に相談せず自分だけで物事を決めて独断専行し、そして人を傷つけ大失敗する天才である。なので健康で幸福に生きている人と相談すべきだ」ということです。ぐぅの音も出ませんでしたので、私はスポンサーと、必要ならば家族とも相談しながらステップ8で埋め合わせのリスト作りを進めました。

なので、スポンサーがいないという状態の方は、埋め合わせする前に早くスポンサーを見つけた方がいいと思います。

 

実際にどうだったか

私の埋め合わせの一つの話を簡単に書かせていただきます。

私には何年も前に傷つけた人たちがいました。その人たちへ罪悪感と後悔を感じており、埋め合わせの必要を感じたのでスポンサーとも妻とも相談し、埋め合わせのリストに記載し、毎日その意欲が与えられることを神に祈り始めました。しかしかつて私がやったことは反社会的行為もありましたので、かなり心理的にハードルが高く「警察を呼ばれたらどうしようか・・・」などど躊躇していました。

ある時、ホームグループのミーティングに向かっている車中で突然「あの埋め合わせをこれ以上延期したらスリップする」ということに気づきました。そこで車を停め、すぐに先方に電話しました。先方が「もう会いたくない」と言うならばそれ以上何もできないことは明らかでしたが、電話してみると「ぜひ会って話そう」と言ってもらえました。

そこで、全力で先方にステップ6・7を実践する意欲と力を神に祈り求めながら、遠方の地まで行き、相手方にお会いして話すことができました。

 

そして先方とお会いし、かつてやった反社会的行動や暴言などを謝罪すると共に、私が棚卸しの中で見つけた、一番相手方に認めなければならなかったこと「私はあらゆる不正直さを身勝手に使って、恐れを自分で暴走させ、あなた方の役に全く立てなかったかったどころか、あなた方を恨んだ。申し訳ない」ということを認めさせていただきました。すると、先方は「そんなことは昔からわかっていたから、べつに」と笑っていました。そこで私の罪悪感と後悔は消滅したのでした。

そして、人間の存在というものは基本的に信頼でき、頼るべきであることを知りはじめました。

 

同時に、すべきであるけれど、できていない埋め合わせももちろんあります。それは埋め合わせをする意欲を神に祈り、その機会が与えられることを神に祈っています。

ステップ10での日々の埋め合わせ

また、同時に大切なのは日々の埋め合わせです。自分が肉体的にも、感情的にも今日一日シラフでいることが日々の埋め合わせの第一歩だと私は感じています。なので朝起きた瞬間から、それを神に祈り求めます。

また、日々の生活の中でイラッとすることがあります。そういう時は「自分は人に埋めわせを要求する存在ではなく、社会や他者に埋め合わせを日々実行しなければならない存在である」というステップ4・5で明らかになった事実を忘れて虚偽を信じている時です。なので、日々の棚卸しを全力ですることも日々の埋め合わせの大切なことです。

 

そして、自分自身への埋め合わせも大切です。それはしなければならないこと、負うべき責任を回避して自信を甘やかすことではないと思います。それは、日々12ステップをステップ10.11.12において全力で実行する努力を続けること、新しい生き方をする努力、自分の責任を取る努力、自分の人生のすべてにこのプログラムの原理を実践する努力をすること、です。自分が自分の性格上の欠点を使うことは、他者のみならず自分自身を傷つける行為だと思っています。

また、神への埋め合わせもあるのだと私は考えています。私の理解する神は、私が神を傷つけ裏切ったことを許し受け入れてくださる存在ですが、私は埋め合わせをしたいと思っています。その埋め合わせは、このメッセージを今苦しむアルコホーリク、AC・共依存症者に届けること、プログラム伝統概念に支えられながら、共同体と共に他者の手助けをすることです。

何が与えられたか

これらを完全には実行できないことはもちろんなのですが、全力で実行しようとする努力を続けて何が与えられたでしょうか。それはビッグブックの「約束」が次々と実現してゆくことです。その約束は決して「実現しきった」というものではなく、深まりゆくものです。

その「約束」が実現し深まりゆく中で、はっきり言えることは、新しく与えられた生き方は、恨みや恐れや罪悪感や後悔にまみれていたかつての生き方とは比べ物にならないほど自由で幸せなことだということです。私はかつての生き方の最高の時であっても、今の生き方の最悪の時とさえ、引き換えにしようとは決して思えません。

 

新しい自由、新しい幸福は日々実現し続けています。神の恵みによって。