しましまな日々

12ステップを通じた問題からの回復について

なんでそんなよくわからん本読んでんの? 前編

昨年の12月から、月一ペースで現在まで10回ほど『宗教的経験の諸相』(以下『諸相』)を講読という形式で学んできました。その過程で様々な出会いがあり、そして学びがありました。共同体の支えは素晴らしいものだと思います。

そして、なぜこの本を読もうと思ったのか、今振り返ってその理由を書いておこうと思います。よろしければ、そんな自分語りにお付き合いください。

ステップ2を深められていなかった

昨年の11月、岐阜で行われたビッグブック・スタディに参加し、僕はかなりショックを受けました。自分がさっぱりステップ2をわかっちゃいないことに気づかされたからです。うぎゃーって感じ。

当時の僕は、スポンサーから「スポンシーを見つけること」と言葉と見えない圧をかけられていたので(たぶん)、最初のスポンシーを探して焦り、苛立っていた時期です。そういう時期ってありますよね。

 

ですがスポンシー云々の前に、ステップ2の理解や「霊的体験・目覚め」の理解を深められていない自分に気づくことになりました。自分がさっぱりわかっていないことを、自分がわかっていないって、かなりヤバいですよね。

それでは12ステップの「目的地(解決)」を説明できないことになりますので、目的地もわからず旅に出ることになります。そんな準備不足で旅に出たら、迷っちゃいます。自分が手にしていないものを、誰かに手渡すことはできません。なので学ぼうと思いました。

具体的には、ビックブック・スタディでも引用されていたジェイムズの『諸相』をしっかり読んでみようと決めました。それまでも『諸相』は図書館で借りて、何度か読もうとしましたが「めんどくせえ!」と3回ほど放り投げており、「回心」の章のアル中の事例だけ読んでお茶を濁していたのです。

その上で「ビルはここを読んだに違いない」ってしたり顔で仲間に言ってたりしましたよ。いや、たしかにビルはそこも読んだんだろうけどさ。困ったちゃんですね。

E.カーツ"Not-God"の翻訳出版

もう一つ、大きなきっかけがあります。

カーツの『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』の翻訳が出版され、それを読んだことです。カーツの本の中で、ジェイムズがAAの「4つの創始の時」の一つとして出てきます。

これは、けっこうインパクトがあるのではないかと思います。よく「AAは二人のアルコホーリクが出会い、話し合う中で酒をやめていって生まれた」とかなんとか言われることがありますが、ここではそんなことは全然書いてないのです。

AAはビルとボブが1935年5月に出会う以前に、ユング博士やオックスフォード・グループ、シルクワース博士やW.ジェイムズといった豊かな源泉を持っていたことがしっかりと書かれています。ビルとボブが出会って喋って、ぽっと自然発生的にAAが生まれたわけじゃありません。

ですので、AAの12ステップや共同体のあり方にはいくつもの豊かな源泉があり、ビル.Wという強烈な個性は、それらを試行錯誤の中で一つにまとめていったのでした。それがAAの資産になっていったのです。その資産は、さまざまな源流から与えられたものです。

 

さて、では少し『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』から引用して、さまざまな源泉の一つであるW.ジェイムズがAAに与えた影響をみてみましょう。p.266からです。

ハーバード大学の哲学者であり心理学者である彼の本『宗教的経験の諸相』は、重要な局面でウィルソンに実際に影響を及ぼしたし、アルコホーリクス・アノニマスの初期メンバーたちは、プログラムの「霊的な側面」が腑に落ちないとこぼす者にはだれも決まってこの本を勧めていた。  

 さらにプログラムだけでなく、共同体のあり方に関してもpp.61-62にあります。

ウィルソンは沈思黙考する人ではないために、意識せずして、そしてほとんど不注意というほどあからさまに、もう一つの米国精神の深部の鉱脈を掘り当てた。それにより彼と彼のプログラムは宗教的すぎるという批難から守られた。多元主義者(pluralist)であるジェイムズは、アルコホーリクス・アノニマスの中心テーマにたいへん都合がよかった。ウィルソンの宗教に対する警戒心はおもに(宗教が強調する)絶対性への恐れに起因する。ウィルソンによれば、何に関しても「絶対的」に考えるのが「アルコール依存症者の考え」である。彼もAAも、アルコール依存症者の最大の特徴は「一つだめなら全部だめ(オール・オア・ナッシング)と決めつけてしまう人間」であるとしている。そのため、アルコホーリクス・アノニマスは、その出発点と基本的な理解において、「唯一無二」の要求に対する拒絶を旨としてきた。違いに寛容な多元主義は、アルコホーリクス・アノニマスにとって、その実用主義と同様に重要で有益なものとして継承されている。(中略)
このように、アルコホーリクス・アノニマスの共同体とプログラムの益になること、と言う観点から見て、ジェイムズの『諸相』とそれが及ぼした影響は深いものであった。ジェイムズの著作の一語一語は重要な機能をはたした。

上記のように、ジェイムズがAAプログラムと共同体のあり方に与えた影響は決して小さくありません。 

ここではジェイムズに関連する部分を引用しましたが、AAのプログラムや共同体のあり方にはジェイムズだけでなく、ユング博士や、AA以前の禁酒運動や、 オックスフォードグループ等々々がさまざまな深い影響を与えているのです。

ですので、12ステップという原理を深く学びたいのなら、その源泉を学べばいいのです。そんなことをカーツの著作は気づかせてくれました。なので『諸相』を学ぶことは、僕にとっては自分のステップワークそのものです。ビルをはじめとする多くのAAメンバーが、そこからたくさんのことを学んだのですから。

 脱線

脱線しますが、そういった源泉を考えると、AAメンバーは謙虚になれますし感謝を学ぶことができます。私たちのプログラムも共同体の方法論も、様々な豊かな源泉から恵みを受けて成り立っているのです。

私たちAAメンバーが「AAは2人のアルコホーリクが出会い、話し合っている間は酒を飲まないでいられたことから始まった」なんてのは言うべきではありません。その説明は、あまりにも、AAがさまざまな源泉から受けた深い恩を忘れていますし、そもそも事実ではありません。

私たちは神や人々から与えられた素晴らしいものを忘れた時、また飲んでしまうのではないでしょうか。

 これをもっと学びたい

閑話休題で、話の本筋に戻ります。

『諸相』を通読して、AAにさまざまな源流があるという、その意味が具体的にわかり始めてきました。「霊的体験・霊的目覚め」の持つ豊かな内容も、プラグマティズム多元主義・可謬主義と言われるジェイムズの考え方がAAにもたらした影響も。

なんか、もやーっとですが。

でも、『諸相』はかなり内容が濃いので(ギフォード講義だもんね)、その消化には時間がかかりそうでした。ですが、僕も多くのAAメンバー同様、待つことが大の苦手です。なので、どうにかしてこれをステップワークに活かしたい、もっと学びたい、仲間と学び合いたいと無闇なことを考えました。

B2B育ちの僕は「理解するには誰か他の人に説明すること」B2B p.74 と言う言葉がなぜかずっと残っていて、とにかく自分が読んでパワーポイントでスライドを作って、誰かに説明しよう!そうすればもっと自分が学べるに違いない、と思ったのでした。

でも、そんな思いつきの試みにつきあってくれる優しい人たちはあまりいません。なので一緒にB2Bをやっていた近しい仲間に声をかけたわけです。そんな近しいメンバーで集まって、簡単なスライドをもとに僕が報告をする2、3回で終わる学習会を考えました。

B2B仲間たちもそんな僕のアイデアに賛同してくれ(優しい)、やってみることになりました。僕はパワーポイントもほとんど使ったことがなかったですが、そこはプログラム・フォー・ユー勉強会などでガンガンやってくれてる仲間がいたので、そんな姿を見様見真似で自分でやってみることにしたわけです。

知らないうちに広まってた

しかし、予想外のことが起きました。

声をかけたB2B仲間が謎のネットワーク力を持っていて、僕が知らないところですごく情宣してくれた結果、全国から40名を超える方が参加してくださったのです。中にはACのグループでミーティング会場からみんなで参加してくださったグループ単位での参加者もおられましたし、大学の研究者の方や断酒会の方もおられました。「どういうネットワークやねん」と思いましたよ。

近しいB2B仲間4、5人の参加者を考えていた僕はびっくりしました。え、そんなにスライド作ってないよ! なので、なんとか口で誤魔化しました(ごめんよ)。

2回目、3回目も30名以上の方が参加してくださり、テキトーにスライドを作って2、3回で終わるはずだった学習会は終われなくなってきました。

 

こうなったからには、せめて「回心」の章はしっかりやらなきゃ申し訳ない、ここが一番プログラムの役に立つだろうから、と思いひーひー言いながらスライド作って原稿書いてってやってたら、気づけば作ったスライドは100枚をゆうに超えていました。

また「回心」の章を自分なりに読み込むと、「回心」の章は前後全ての章と密接に関連していることが見えてきて、ますます終われなくなったのでした。

 

そんな中で就職活動やら、ホームグループの移動やら、スポンシーを得たり、かなりいろいろしてたので、いろいろ無駄なことを考える時間もなくとにかくやってました。それがよかったのか、今でも飲まずに続けられています。

日本のAAの格言「いいから、やれ」はけっこう言い得て妙です。楽しいですしね。

 ちょっと上手くなったかな?

最初の方を自分で振り返ってみると、けっこうひどかったように思います。なんかロジックの通らない、混乱したことを言っていた記憶があります(ごめんね)。

もう半年以上経って、やっとこさ今の自分なりのやり方も身につけてきました。最初の半年は毎回ぎりぎりの直前に大急ぎで原稿を書いたり、参考文献をあさったりで余裕がなかったのですが、最近は皆さんのおかげで、リラックスできています。

なんか以前は、話してる僕の姿があまりにもへとへとで必死だったためか「12ラウンド戦いきったボクサーみたいですよね」「話してる呼吸がもう苦しそうですね、わかるわー」とコメントいただいたこともありました。笑いました。

 

自分なりにステップ2の感覚も掴めてきて、すくなくとも「そもそも、わからないことがわかってない」状態は改善しつつあります。それはやはり、聞いてくれる方々がいてくれるからです。教える方が毎回毎回、本当に教わっています。本当にありがたいことです。

神は人を、人の発想をはるかに超えたスケールで導かれているのだと思います。

後編にむけて

さて、そんな日々の中で思ったこと。「霊的体験・霊的目覚め」は12ステップの「目的地」なわけですが、その意味内容を好き勝手に変えてしまったらとんでもないことになります。

日本で「ディズニーランドに行きたい」と言う人に案内する目的地は千葉県浦安市です。ですが、その人が行きたいディズニーランドがフランスのものだと無理やり勘違いしてしまえば、目的地としてパリのマルヌ=ラ=ヴァレに案内することになります。そんな感じ。

「名前はおんなじだけど、全然違うとこ着いちゃいましたが」みたいな。

 

そんなことを簡単に後編で書こうと思います。またよければ、お付き合いください。

まとめるのに時間がかかるかもしれないので、いつになることやら、ですが。

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