しましまな日々

12ステップを通じた問題からの回復について

ルールよりも原理を

滋賀は台風の中です。外は強い風が吹いてますよ。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

コントロールは本来悪いものじゃない

私たちにはコントロール欲求というものがあります。時々勘違いされていますが、コントロール欲求というものは本来、良いものです。

僕はスポンシーに、乳幼児の例を時々使います。養育者が乳幼児の周囲の環境をコントロールしなかったら、その子どもは非常に危険な状態に置かれることになりますよね。コントロールを手放して危険に放置することが良いこと、なんてのは言わないわけです。それはネグレクトという虐待です。

 

ですが、私たちにもともと備わっている良いものであるコントロール欲求も、その本来の働きを超えて、破壊的な作用を引き起こすことがあります。それはその欲求が「自分の意思 Self-will」に導かれている時です。

ステップ3で直面するように、アルコホーリクは「自分の意志 Self-will」によって破滅に突き進んでるわけですが、ここらへんを今の日本語のビッグブックは「頑固な自我」とか訳しちゃってるから、なんか頑固者的なニュアンスになって、わけわからなくなってます。

「神の意思 God-will」と「自分の意思 Self-will」との対立的関係が見えにくくなっちゃってますね。そこは、スポンサーシップの中でフォローアップするようにしています。

自律の向こう側

閑話休題

ただ、全てを取り仕切ろうとする(コントロールしようとする)自分の意思の力だけで12ステップはやれないものです。

私たちはステップ2でも、3でも、5でも、9でも、11でも、どのような結果が与えられるか、自分にはわからなかったのではかったでしょうか。それでも私たちは、自分を超えた力が私たちを健康な心に戻してくれると信じて、それらのステップを実行しましたし、今日もしています。

そこで与えられた結果が、私たちにとって都合の悪いものであっても、不愉快なものであっても、自分を超えた力が与えてくれたものは自分に必要なものだったし、良いものでした。

「神の意思 God-will」は私たちにとって、いつも良いものだったのです。霊的体験・目覚めを得る中で、私たちはそれを体験するでしょう。

 

ですので、12ステップを生き方の原理とするのならば、自律(自分をコントロールすること)を諦めなくてはならない局面は来るのです。信仰(Faith)とは、それを受け入れられるだけのハイヤーパワーへの信頼なのでしょうね。

原理はルールを超えている

12ステップは生き方の原理であり、生き方のルールではありません。そもそも、アルコホーリクはアルコホリズムの泥沼の中で、自作ルールで自他をがんじがらめにしているものです。

意思の力を強く持って飲酒をやめなくてはならない、飲み方をコントロールしなければならない、バレてはならない、人に口出しされてはならない、仕事をしながらでも上手く飲まなきゃならない、できないというのは言ってはならない、舐められちゃいけない、などなどなどなどなど…………。全部僕なんですけどね。はぢかちー。

 

12ステップはそういった自作ルールを打ち砕くものでもあります。「そもそもあなた、アルコールをコントロールできないでしょうよ」ってステップ1から突きつけられるわけですし、おすし。

その後のステップもそれぞれが、自分の意思ごと自作ルールを打ち砕く作用も持っています。

そして、プログラムを生きる中で、私たちの人生を導いてきた「自分の意思 Self-will」は、一見役に立つように見えても、実は役に立たないものだったことがわかってきます。

 12ステップ共同体の中にもさまざまなルールがある

だから「原理よりもルールを」とすると12ステップの現在地と目的地を見失うことになるのです。私たちが作り出したルールの多くは、「自分の意思 Self-will」でひねり出したものじゃなかったでしょうか。そのルール、役に立ちましたっけ。

ですが、AAの中にもさまざまなルールがルールメイカーによって作られていたりします。

いい人にならなきゃ回復したことにはならない、回復者はイイ事言わなきゃいけない、回復者は人を裁いちゃイケナイ、感謝しなきゃ回復じゃない、承認欲求はテバナさなきゃイケナイ、自己憐憫はイケナイ、自他を受け入れなきゃイケナイ、許さなきゃイケナイ、人に嫌われちゃイケナイ、コントロールはヨクナイ、などなどなどなど………。

そんなルール守ろうとするより、12ステップしっかりやりゃいいんですよ、って感じです。また、ビッグブックの言う「本物のアルコホーリク」がそんなルールを真に受けたら、飲んで死にます。共同体の中には回復の役に立たない考え方もあるのです。

 

原理は学ぶのも、実行するのも、教えるのも手間なのです。ルールはお手軽ですよね、まるでアルコールみたいですね(言い過ぎ?

こまっちゃうのは、そういう人はえてしてそのルールを自他に押し付けることです。「スリップするのはミーティング歩きが足りないからだ」なんてね。まぁ、そりゃ僕も押し付けはやりますけれども、あまりにも、ねえ。ステップ1どこいっちゃったのよ。

どこへ行かれるのですか?

そして最もヤバイのは、ルールを守ることには「自分なりに理解した神との意識触れ合いを深め」る必要も、「神の意思を知ることと、それを実践する力を祈りと黙想によって求め」る必要もないからです。

自分の意思で決めたルールを、自分の力で一生懸命守ればいいんですから、ハイヤーパワーはいりません。ハイヤーパワーよりルールを求め、ルールを信頼すると言うのは、そういうことです。 

ということは、もはや12ステップではない「なにか」をしてることになります。あの、ちょっと、どこへ行かれるのですか?ってかんじ。ステップ1(現在地)と2(目的地)は綺麗さっぱり吹き飛んで、迷っているわけです。

たちが求めるのは「神の意思(God-will)」であって、「自分の意思(Self-will)」で作ったルールではないですよね。神が私たちになにを望んでいるのか、が重要なわけです。それがたとえ、自分にとって不都合で不愉快なものであっても。

 

霊的体験・霊的目覚めを得て、ハイヤーパワーを見つけ体験した結果として感謝の感情を持つことや、承認欲求が暴走しなくなることは当然あるでしょう。ですが、それは結果であって、手段でも目的でもないです。

まぁ、人が何してようと口出しするのも野暮な話なのですが、せっかく12ステップやってるのに逆走するというのはもったいない話だな、と思うのです。やればやるほど苦しくなりますしね。

AAメンバーが僕に教えてくれたこと

僕も、AAの中で「原理よりもルールを!」とルールを求めていたことがありました。そんな時は人に「こうやればうまくいく」という「ルール」を教えて欲しくなるものです。「あの人が上手くやっているのは、いいルールを知っているからだ!」ってな感じ。はじかちー。

なので、いろんな人に「あなたのルールを教えて欲しい」ってな感じで聞いてまわっていたことがあります。ルール=うまくいくやり方という、謎の方程式です。これは虚偽です。

すごく苦しかったですし、あのまま突き進んだらボトルに頭を突っ込んでいたでしょう。ルールと経験は違いますしね。

 

そんなときに、あるAAの仲間は、そんな僕のルールを求める質問に「AAに来たばかりの人は、人になんでも相談しなさいって提案されますけど、ステップやっていつまでもそれじゃダメですよね。失敗してもいいから、自分がやらないと、経験にはならないんじゃないでしょうか」と優しく(しかし、さすがAAメンバーらしくド直球で)諭してくれました。

「あなた、なんでそれをまず、祈りと黙想の中で神の意思と力を求めないの?あなたのステップどこいっちゃってるの?」と言われたようで僕はがっくり「その通りです」とうなだれたのでした。側から見りゃ、そんな動機は丸見えってことです、とほほ。

彼には「原理よりもルールを」とする僕の姿が見えていたのでしょう。彼が言ってくれた一言は、脱線して迷っていた僕を原理に叩き戻してくれました。本当に、ありがとう。

 というわけで

というわけで、今回は、私たちが分かち合うのは「経験と力と希望」であって、人間が作ったルールじゃあねぇよなぁ、って話でした。強調しますが、ルールと経験は違います

あ、「なんでそんなよくわからん本読んでんの? 後編」は途中で止まってます。台風ですし、おすし。

 

 

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なんでそんなよくわからん本読んでんの? 前編

昨年の12月から、月一ペースで現在まで10回ほど『宗教的経験の諸相』(以下『諸相』)を講読という形式で学んできました。その過程で様々な出会いがあり、そして学びがありました。共同体の支えは素晴らしいものだと思います。

そして、なぜこの本を読もうと思ったのか、今振り返ってその理由を書いておこうと思います。よろしければ、そんな自分語りにお付き合いください。

ステップ2を深められていなかった

昨年の11月、岐阜で行われたビッグブック・スタディに参加し、僕はかなりショックを受けました。自分がさっぱりステップ2をわかっちゃいないことに気づかされたからです。うぎゃーって感じ。

当時の僕は、スポンサーから「スポンシーを見つけること」と言葉と見えない圧をかけられていたので(たぶん)、最初のスポンシーを探して焦り、苛立っていた時期です。そういう時期ってありますよね。

 

ですがスポンシー云々の前に、ステップ2の理解や「霊的体験・目覚め」の理解を深められていない自分に気づくことになりました。自分がさっぱりわかっていないことを、自分がわかっていないって、かなりヤバいですよね。

それでは12ステップの「目的地(解決)」を説明できないことになりますので、目的地もわからず旅に出ることになります。そんな準備不足で旅に出たら、迷っちゃいます。自分が手にしていないものを、誰かに手渡すことはできません。なので学ぼうと思いました。

具体的には、ビックブック・スタディでも引用されていたジェイムズの『諸相』をしっかり読んでみようと決めました。それまでも『諸相』は図書館で借りて、何度か読もうとしましたが「めんどくせえ!」と3回ほど放り投げており、「回心」の章のアル中の事例だけ読んでお茶を濁していたのです。

その上で「ビルはここを読んだに違いない」ってしたり顔で仲間に言ってたりしましたよ。いや、たしかにビルはそこも読んだんだろうけどさ。困ったちゃんですね。

E.カーツ"Not-God"の翻訳出版

もう一つ、大きなきっかけがあります。

カーツの『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』の翻訳が出版され、それを読んだことです。カーツの本の中で、ジェイムズがAAの「4つの創始の時」の一つとして出てきます。

これは、けっこうインパクトがあるのではないかと思います。よく「AAは二人のアルコホーリクが出会い、話し合う中で酒をやめていって生まれた」とかなんとか言われることがありますが、ここではそんなことは全然書いてないのです。

AAはビルとボブが1935年5月に出会う以前に、ユング博士やオックスフォード・グループ、シルクワース博士やW.ジェイムズといった豊かな源泉を持っていたことがしっかりと書かれています。ビルとボブが出会って喋って、ぽっと自然発生的にAAが生まれたわけじゃありません。

ですので、AAの12ステップや共同体のあり方にはいくつもの豊かな源泉があり、ビル.Wという強烈な個性は、それらを試行錯誤の中で一つにまとめていったのでした。それがAAの資産になっていったのです。その資産は、さまざまな源流から与えられたものです。

 

さて、では少し『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』から引用して、さまざまな源泉の一つであるW.ジェイムズがAAに与えた影響をみてみましょう。p.266からです。

ハーバード大学の哲学者であり心理学者である彼の本『宗教的経験の諸相』は、重要な局面でウィルソンに実際に影響を及ぼしたし、アルコホーリクス・アノニマスの初期メンバーたちは、プログラムの「霊的な側面」が腑に落ちないとこぼす者にはだれも決まってこの本を勧めていた。  

 さらにプログラムだけでなく、共同体のあり方に関してもpp.61-62にあります。

ウィルソンは沈思黙考する人ではないために、意識せずして、そしてほとんど不注意というほどあからさまに、もう一つの米国精神の深部の鉱脈を掘り当てた。それにより彼と彼のプログラムは宗教的すぎるという批難から守られた。多元主義者(pluralist)であるジェイムズは、アルコホーリクス・アノニマスの中心テーマにたいへん都合がよかった。ウィルソンの宗教に対する警戒心はおもに(宗教が強調する)絶対性への恐れに起因する。ウィルソンによれば、何に関しても「絶対的」に考えるのが「アルコール依存症者の考え」である。彼もAAも、アルコール依存症者の最大の特徴は「一つだめなら全部だめ(オール・オア・ナッシング)と決めつけてしまう人間」であるとしている。そのため、アルコホーリクス・アノニマスは、その出発点と基本的な理解において、「唯一無二」の要求に対する拒絶を旨としてきた。違いに寛容な多元主義は、アルコホーリクス・アノニマスにとって、その実用主義と同様に重要で有益なものとして継承されている。(中略)
このように、アルコホーリクス・アノニマスの共同体とプログラムの益になること、と言う観点から見て、ジェイムズの『諸相』とそれが及ぼした影響は深いものであった。ジェイムズの著作の一語一語は重要な機能をはたした。

上記のように、ジェイムズがAAプログラムと共同体のあり方に与えた影響は決して小さくありません。 

ここではジェイムズに関連する部分を引用しましたが、AAのプログラムや共同体のあり方にはジェイムズだけでなく、ユング博士や、AA以前の禁酒運動や、 オックスフォードグループ等々々がさまざまな深い影響を与えているのです。

ですので、12ステップという原理を深く学びたいのなら、その源泉を学べばいいのです。そんなことをカーツの著作は気づかせてくれました。なので『諸相』を学ぶことは、僕にとっては自分のステップワークそのものです。ビルをはじめとする多くのAAメンバーが、そこからたくさんのことを学んだのですから。

 脱線

脱線しますが、そういった源泉を考えると、AAメンバーは謙虚になれますし感謝を学ぶことができます。私たちのプログラムも共同体の方法論も、様々な豊かな源泉から恵みを受けて成り立っているのです。

私たちAAメンバーが「AAは2人のアルコホーリクが出会い、話し合っている間は酒を飲まないでいられたことから始まった」なんてのは言うべきではありません。その説明は、あまりにも、AAがさまざまな源泉から受けた深い恩を忘れていますし、そもそも事実ではありません。

私たちは神や人々から与えられた素晴らしいものを忘れた時、また飲んでしまうのではないでしょうか。

 これをもっと学びたい

閑話休題で、話の本筋に戻ります。

『諸相』を通読して、AAにさまざまな源流があるという、その意味が具体的にわかり始めてきました。「霊的体験・霊的目覚め」の持つ豊かな内容も、プラグマティズム多元主義・可謬主義と言われるジェイムズの考え方がAAにもたらした影響も。

なんか、もやーっとですが。

でも、『諸相』はかなり内容が濃いので(ギフォード講義だもんね)、その消化には時間がかかりそうでした。ですが、僕も多くのAAメンバー同様、待つことが大の苦手です。なので、どうにかしてこれをステップワークに活かしたい、もっと学びたい、仲間と学び合いたいと無闇なことを考えました。

B2B育ちの僕は「理解するには誰か他の人に説明すること」B2B p.74 と言う言葉がなぜかずっと残っていて、とにかく自分が読んでパワーポイントでスライドを作って、誰かに説明しよう!そうすればもっと自分が学べるに違いない、と思ったのでした。

でも、そんな思いつきの試みにつきあってくれる優しい人たちはあまりいません。なので一緒にB2Bをやっていた近しい仲間に声をかけたわけです。そんな近しいメンバーで集まって、簡単なスライドをもとに僕が報告をする2、3回で終わる学習会を考えました。

B2B仲間たちもそんな僕のアイデアに賛同してくれ(優しい)、やってみることになりました。僕はパワーポイントもほとんど使ったことがなかったですが、そこはプログラム・フォー・ユー勉強会などでガンガンやってくれてる仲間がいたので、そんな姿を見様見真似で自分でやってみることにしたわけです。

知らないうちに広まってた

しかし、予想外のことが起きました。

声をかけたB2B仲間が謎のネットワーク力を持っていて、僕が知らないところですごく情宣してくれた結果、全国から40名を超える方が参加してくださったのです。中にはACのグループでミーティング会場からみんなで参加してくださったグループ単位での参加者もおられましたし、大学の研究者の方や断酒会の方もおられました。「どういうネットワークやねん」と思いましたよ。

近しいB2B仲間4、5人の参加者を考えていた僕はびっくりしました。え、そんなにスライド作ってないよ! なので、なんとか口で誤魔化しました(ごめんよ)。

2回目、3回目も30名以上の方が参加してくださり、テキトーにスライドを作って2、3回で終わるはずだった学習会は終われなくなってきました。

 

こうなったからには、せめて「回心」の章はしっかりやらなきゃ申し訳ない、ここが一番プログラムの役に立つだろうから、と思いひーひー言いながらスライド作って原稿書いてってやってたら、気づけば作ったスライドは100枚をゆうに超えていました。

また「回心」の章を自分なりに読み込むと、「回心」の章は前後全ての章と密接に関連していることが見えてきて、ますます終われなくなったのでした。

 

そんな中で就職活動やら、ホームグループの移動やら、スポンシーを得たり、かなりいろいろしてたので、いろいろ無駄なことを考える時間もなくとにかくやってました。それがよかったのか、今でも飲まずに続けられています。

日本のAAの格言「いいから、やれ」はけっこう言い得て妙です。楽しいですしね。

 ちょっと上手くなったかな?

最初の方を自分で振り返ってみると、けっこうひどかったように思います。なんかロジックの通らない、混乱したことを言っていた記憶があります(ごめんね)。

もう半年以上経って、やっとこさ今の自分なりのやり方も身につけてきました。最初の半年は毎回ぎりぎりの直前に大急ぎで原稿を書いたり、参考文献をあさったりで余裕がなかったのですが、最近は皆さんのおかげで、リラックスできています。

なんか以前は、話してる僕の姿があまりにもへとへとで必死だったためか「12ラウンド戦いきったボクサーみたいですよね」「話してる呼吸がもう苦しそうですね、わかるわー」とコメントいただいたこともありました。笑いました。

 

自分なりにステップ2の感覚も掴めてきて、すくなくとも「そもそも、わからないことがわかってない」状態は改善しつつあります。それはやはり、聞いてくれる方々がいてくれるからです。教える方が毎回毎回、本当に教わっています。本当にありがたいことです。

神は人を、人の発想をはるかに超えたスケールで導かれているのだと思います。

後編にむけて

さて、そんな日々の中で思ったこと。「霊的体験・霊的目覚め」は12ステップの「目的地」なわけですが、その意味内容を好き勝手に変えてしまったらとんでもないことになります。

日本で「ディズニーランドに行きたい」と言う人に案内する目的地は千葉県浦安市です。ですが、その人が行きたいディズニーランドがフランスのものだと無理やり勘違いしてしまえば、目的地としてパリのマルヌ=ラ=ヴァレに案内することになります。そんな感じ。

「名前はおんなじだけど、全然違うとこ着いちゃいましたが」みたいな。

 

そんなことを簡単に後編で書こうと思います。またよければ、お付き合いください。

まとめるのに時間がかかるかもしれないので、いつになることやら、ですが。

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うまくいかない時のプログラム

この連休は換気扇の油汚れ掃除から、ソファのカバー洗濯やらの地味で時間がかかる家事をどさっと済ませられて、すごく気分がいいです。汗だくになりましたが、家の中が清潔になっていくのは楽しいものですね。

ゴミ屋敷での日々

僕は大学生の時、汚部屋なんてのを通り越した一軒家のゴミ屋敷に何年も住んでましたが、そりゃあ夏は地獄のようでした。詳しく書くとかなり不潔な文章になるので書きませんが、伝染病が出てルームシェアしてた僕含め3名が死ななかったのはただの運でした。僕は錯乱気味に酔っ払って脱衣所に籠城して出てこなかったし。

風呂入ってたかって?聞かないでください笑

 

ビッグブックにおいて、12ステップは家の掃除に例えられます。12ステップの基本コンセプトは、神とあなたの間に障害物(ゴミ)があって、それを取り除いて神と触れ合えば、神があなたを健康な心に戻してくれますよ、というものです。

なので、私たちは行動のプログラム(Step4~9)でその障害物(ゴミ)を取り除き、掃除を継続し(Step10)、そして神と触れ合います(Step11)。その結果、私たちは霊的に目覚めて、神に健康な心に戻してもらい、それを人と分かち合います(Step12)。

 

ゴミは一回掃除すればいいと言うものではありません。僕も大学時代のゴミ屋敷の下宿で、大家さんとトラブって弁護士と大家さんが家の現状を見に来るってことがありました。慌てて2トントラックを何日も借りて2階からゴミをトラックの二台に投げて積み込み、ゴミ処理場まで何往復もして大掃除したことがあります。

それでなんとか最低限、物はなくなり、大家さんと弁護士にもオッケーをもらえたので下宿に住み続けられることができたのですが、まぁその後も酔っ払ってぶっ倒れてるので、下宿はすぐ元よりひどいゴミ屋敷になりました。

掃除は継続してこそ、掃除です。続けないと、大体が前より酷くなるもんです。私たちは自分の内面がゴミ屋敷になったから、大変なことになったのを忘れてはいけませんよね。

スポンサーシップで

さて、閑話休題です。

霊的に目覚めた後も掃除という名のステップワーク(Step10.11.12の継続)は続くのですが、ビッグブックの「解決」を得た後でも私たちには課題がたくさんたくさんあります。

スポンサーを務める時には、自分の利己心に改めて直面することになるでしょう。「スポンシーが俺の思った通りに変わりやがらねえええ」なんてね笑。そんな時こそ自分にプログラムを使うわけです。

 

また、スポンサーがステップワークを案内する時にも技法があるのも事実です。どうやってプログラムを手渡すかにも、技術があります。それはビッグブックに書いてあるものもたくさんありますし、そのスポンサーが身につけた専門性もあります。

例えば、ステップ1で「何もかもに無力」なんてするのは技術的に悪手なわけです。ありがちかもしれませんが、たいていわけわからんくなります。ステップ3以前に利己心の問題を出してきたり、ライフストーリー形式の棚卸しの問題点や、埋め合わせの落とし穴なんてのもあります。

僕もビッグブックと色んな人と教えてもらい、話し合いながら、日々勉強です。

 

なのでスポンサーも「自分のやり方は本当に多くのアルコホーリクの役に立つのか?今のやり方を捨てて、新しいやり方を身につけなくてはいけないのではないか?」と自問自答するものです。それを自問自答しないなら、何か大切なことを忘れているでしょう。

自分がスポンサーから受け継いだものも、捨てなくてはいけない時が来ることはよくあります。

サービスワークで

サービスワークにしてもそうで、グループの運営や地域、地区のサービス活動なんてのも同様です。以前と同じことをしていて結果が出ないのであれば、そのやり方を変えなくてはなりません。

伝統4に明記されているように、AAはいま苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶ霊的共同体です。どうすればメッセージを多くのアルコホーリクに届けられるか、そもそもメッセージを届けられているか、などはいつも自らに問うべきところです。

 

オフラインでミーティングができなくなったらオンラインへ、オンラインで新しいことができるなら、さらに工夫してメッセージを運ぶ、などなどたくさんあります。

同じことをしていれば同じ結果がいつまでも出るはず、なんてのは、酒を飲めばいつだっていい気分になれる、程度の妄想に過ぎません。それが虚偽であることは、12ステップで回復した人ならば知っているはずです。

うまくいかないときに

当然、スポンサーシップででもサービスワークででもうまくいかない時がでてきます。また、失敗もします。しかし、失敗は恐れるものでも嘆くものでもありません。カーツの『アルコホーリクス・アノニマスの歴史』なんかを見てもAAは驚くほど失敗の連続です。しかし、AAはその試行錯誤の中で失敗から学び、成長してきました。

 

これは、12ステップもそうじゃないですか?

 

ステップ1にしても、ステップ4・5の棚卸しにしても、その後のステップにしても、私たちは自分の「役に立たなくなったやり方」や失敗に直面してきたはずです。しかし、それらに直面できたからこそ、今の回復というものがもたらされたはずですし、それを避けることはできなかったはずです。

12ステップで確かに回復した人は、それがわかると思います。なので、以前よりも失敗や変化を恐れることはなくなります。

 

ですので、スポンサーシップやサービスワークでうまくいかなかった時は、自分の側になにか「捨てるべきもの」があるということです。自分の失敗や、自分のやり方がうまくいかなかったことを認めるのは、誰しも愉快なことではないですが、12ステップは「何かを得るプログラムというよりも、捨て続けるプログラム」(『回復の「ステップ」』p.87)でしたよね。

だって、掃除って、役に立たなくなったゴミを「捨てる」から掃除でしょ。じゃあ、まずはそれが「役に立たない」って認めないと。

ピンチはチャンス

だからうまくいかなかった時はチャンスです。自分が捨てるべきものを捨てるタイミングなのでしょう。

僕の場合は、自分のスポンサーに自分がやってもらったステップワークの技法でも、今は使っていないものもあります。また、自分ではスポンシーに対してうまくいくと思っても、そうじゃなかったので、捨てざるを得なかったものも既にいくつもあります。

一気に全てを捨てることはできませんので、少しずつですし、基本テキストである「ビッグブック」から外れるわけにはいきませんが。

 

そうやって、役に立たないものをひーこら言いながら捨てていくと、神と人を頼ることができます。自分のやり方に固執してたら、ビッグブックにある「第六感」(Step11)なんてのも役に立ちません。捨てれば、神は与えてくれます。

僕がまだスポンサーを見つけてない人に「早くスポンサーを見つけることです」と言うのは、そういうことでもあります。あなたは「自分一人でやる」というやり方、もう上手くいかないんじゃないでしょうか?そのやり方、捨てた方がいいんじゃないでしょうか?という問いかけです。

 

しがみつくと、僕はまたゴミ屋敷で暮らすことになります。何かを掴もうと思ったら、まず握りしめてるものを諦めないとね。学ぶということは、そういうことなのだろうと思う連休でした。

それにしても、洗いたてのソファは快適です。

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