しましまな日々

12ステップを通じた問題からの回復について

霊的な病の本質は「恨み」ではない

今回は簡潔に、恨み、恐れ、性の振る舞いを含めた人を傷つける行動というステップ4、5で扱う事柄について解説させていただきます。この恨みが神から私たちを隔てる最大の本質だ!と思われる方もおられるかもしれませんが、実はそうではありません。

f:id:shima2019:20200801142956j:plain

 

恨みは目に見える事柄であって、霊的病の本質ではない

まず、棚卸しは恨みと恐れから始めますが、実はこれは霊的な病の本質ではなく、そのあらわれです。私たちはまず目に見えるとことから始めなくてはなりませんので、これらの不快感情から始めるのは当然のことです。

ですが、「恨まないようになれば全て解決!」とはならないのです。それはなぜでしょうか?「恨みを赦したら、すべて解決する」と思いたくなる気持ちもわかりますし、私もそう思っていました。ですが、本能をつかった棚卸表で私たちが取り組むべき列を思い出してください。恨みの事柄そのものである第一列、第二列は変えられないものではなかったでしょうか?

「恨まないようにする!」という考え方は自分の考え方(意思)で自分の感情を変えようとしていることです。それができるならば、今の私たちのようになっていたかは考えてみなければなりません。私は自分の考え方で自分の感情を変えようと努力し続け、全て失敗しました笑

恨みを無理やり赦したところで、第四列に取り組まなければまた恨みは生じる

見出しがそのまま結論ですが、その通りです。私たちが変えられるものである第四列の「性格上の欠点」に具体的に取り組まない限り、恨み、恐れ、罪悪感、後悔は以前と同じ強さで次々と沸き続け、そうなるとスポットチェックでもすぐに対応不可能になります。これは「なくなったはずの恨みがまた戻ってきた」と言われることもあります。私の経験では、戻ってくるときは恨みはさらに強力になっていました笑

つまり、霊的な病の本質は「性格上の欠点」であり、その現れが恨みであったのです。なので棚卸表の第四列に現れる「性格上の欠点」に取り組まない限り、霊的な病からの回復はありません。これは私の実体験からも納得できます。

「恨みは神から自分を引き離すんだ、だから恨まないようにしなきゃ、赦さなきゃ」と思って一生懸命だったころがありますが、何一つ解決は見えずかえって「恨んじゃいけないと思い恨みを否定・抑圧することそのものが不快感情になる」という大混乱の中に突っ込んだからです笑

ただ、恨みは私たちを神から隔てることは事実です。それはそうなのですが、恨みの原因は恨みそのものではないので、原因に対処しない限り同じことの繰り返しということです。アルコールが症候であったことと同じです。

ステップ4、5なしに性格上の欠点に取り組むことは不可能

性格上の欠点が原因なら、性格上の欠点を使わなければいい!と思われるかもしれません。ここで命のかかった重要ポイントですが、それはステップ6、7で具体的行動として取り組むことであり、ステップ6、7は、ステップ4、5なしにできません。自分がどのように性格上の欠点を使ってきたか、それが自分の人格の一部になってしまっているのかは、ステップ4、5に徹底して取り組むことで明らかになるものです。これを飛ばして、性格上の欠点のみに取り組むことはできません

私はステップ4で自分の性格上の欠点を苦労して洗い出しました。しかし、恐れについては把握できましたが、それ以外は自分だけでは不可能でした。神ともう一人の人に厳しい愛を持って見ていただき(ステップ5)、自分の性格上の欠点の使い方のパターン、つまり今までの生き方のパターン、性格上の欠点がどのように自分の人格の一部になってしまっているかを理解することができました。ここでしっかり直面させていただいた古い生き方のパターン(性格上の欠点の具体的使い方)から、ステップ6、7での自分の新しい行動パターン(新しい生き方)を導き出すことができたのです。

重要なのは「行動」ですが、新しい行動パターンを具体的に起こすには古い行動パターンを理解していなくてはできないのです(理由は「祈れないから」です)。この新しい行動パターンの神の力による実践なしでは、恨みはまたすぐ戻ってきますし、スポットチェックも上手く働きません。

なので、棚卸しは必須であり、また棚卸しは安易な癒しや事柄の懺悔ではありません。自分のこれまでの生き方のパターンを洗い出し、それに向き合うことです。棚卸しで自分のいいところだけ指摘してもらうことや、ただただこれまでの悪行の告白に終始したのでは、私は回復を手にすることができなかったでしょう。厳しい愛を持って徹底してスポンサーとシェアリングパートナーに今までの生き方(性格上の欠点をどう使って生きてきたか)にサーチライトを当てていただけたので、ステップ5以降のステップに進むことができ、その結果として私は神の恵みによりいま生きることができています。

「恐れずに、徹底して」とは、自分についての事実を把握し、事実に向き合うことです。その事実とは、第四列に現れるものです。自分の性格上の欠点を使った古い行動パターンが明らかにならない棚卸しは、私には効果がありませんでした。

私が宣言できること

私はステップ4、5を「簡単だよ!」というつもりはありません。自分なりにしっかり苦労した、というのが偽らざる感想です笑 それはステップ6、7についてもそうです。ですが、その苦労に見合う、いや、見合うどころか遥かに超える素晴らしいものを与えられました。それは霊的目覚めから始まった新しい人生です。

この神から与えられた新しい人生の素晴らしさは「たとえ今の最悪な時でさえ、以前の最高の時と引き換えにしたくない!」と心から言えるものです。そしてそれは、意欲と正直さと開かれた心を持って徹底して12ステップに取り組めば誰にでも与えられる約束です。「取り組みさえすれば、必ず実現する!」なんの力もなく、絶望していた私が回復したのですから、私はそう宣言できます。

私たちが霊的な成長を共に歩んでいけますように