しましまな日々

12ステップを通じた問題からの回復について

棚卸しは一回で終わりでしょうか?いいえ、毎日するものです!

ステップ4、5の棚卸しに躊躇や苦労をされている方がおられると思います。私は「ステップ4、5なんて聞くだけで恐ろしい。鼻を摘んで一回やっておしまいにしたい!」と棚卸しをする前は考えていました。

 

今は「棚卸しはそれなりに苦労もするだろうけど、効果ある棚卸しをしっかりできた後での、以降のステップでの恵みは苦労を吹き飛ばして余りありますよ」と言うようになりました。あと、時々「実は棚卸しは毎日するんですよ、それがステップ10です」と補足しています笑

 

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ステップ4、5は懺悔でも後悔の告白でも自責でもない

ステップ4、5の目的は、今までの役に立たない生き方、つまり古い行動パターンを神と自分ともう一人の人との協働で見つけ出していく作業です。ですので、棚卸しの目的は懺悔でも反省でも吐き出すことによる癒しでもありません。

棚卸しで必要な事柄はこれまでの人生の「全て」ではなく、「重大かつ際立った」欠点を明らかにするものです。「何もかもを書き、話し、しらみつぶしに欠点を明らかにしなければ効果ある棚卸しではない」という意見はビッグブックと12&12においては書いていません。

具体的な記述は

『アルコホーリクス・アノニマス』(通称ビッグブック)  

If you have already made a decision, and an inventory of your grosser handicaps, you have made a good beginning. (原著p.71) 

「もしあなたがすでに心を決め、自分の重大な(膨大な、は誤訳)欠点の棚卸表をつくったとすれば、あなたは回復の道をもう順調に滑り出したのだ。」(日本語訳p.103)

 

『12のステップと12の伝統』(通称12&12)  

Now let's ponder the need for a list of the more glaring personality defects all of us have in varying degrees.  (原著p.48) 

「次に考えたいのは、程度の差こそあれ、私たち全員が持つ、際立った性格上の欠点のリスト作りである。」(日本語訳p.66)

 

です。つまりステップ4、5の棚卸しではgrosserでglaringな欠点を洗い出す作業なわけです。

grosserはgrossの比較級で「目立つ、酷い、大きな、重大な」と言う意味です(『新英和大辞典 第六版』研究社)。glaringは「ギラギラする、目立つ、酷い、紛れもない」です(同上)。

ですので、全てを事細かに明らかにする完全なステップ4、5は棚卸しは存在しませんし、必要はありません。焦点はステップ4、5以降のステップ、特にステップ6.7.8.9を効果あるものにするための重大な真実です。つまり、これまでの誤った生き方のパターンを明らかにする必要があります。

私の場合のステップ4、5で明らかになった「重大で際立った」欠点=古い行動パターン

私の場合、ステップ4、5で明らかになった、これまでの古い誤った行動パターンは「人や社会に対する根拠のない恐れから自他に不正直行動をし、その嘘を取り繕うために身勝手行動に走り、必然的に配慮の欠如した行動を取り自他を傷つけ社会関係を破壊したが、それら恐れ・不正直・身勝手・配慮の欠如という自分の性格上の欠点を全て棚に上げ、一方的に他者と社会を恨み続けるという一貫して利己的な生き方」でした。

実際はこの行動パターン意外にも様々な性格上の欠点のあり方は私にもあるのですが、ステップ4、5で明らかにする必要のあった最も「重大で、際立った(つまりgrosserでglaringな)」欠点はこの行動パターンであったし、まずこれ以降のステップに進み霊的に目覚めるにはこれで十分でした。あとの欠点などは、霊的に目覚めた後でのステップ10と統合作業で生涯をかけて取り組めるからです。ステップ4、5は生涯にわたる日々の棚卸しのスタートなのです。

自分一人では表を使い、恐れの棚卸しまではできましたが、恐れ、不正直、利己的などの性格上の欠点を自分がどう組み合わせて使っているかの行動パターンまではたどり着けませんでした。どうしても神ともう一人の人(スポンサー、シェアリングパートナー)の助けが必要だったのです。

上記の古い行動パターンを「ああ、この表に現れているとおりなのだな」と心から納得したので、その正反対の行動パターンである「新しい行動パターン」を特定し、ステップ6.7に進むことができましたし、このパターンで傷つけた人への埋め合わせの必要性に自然と気づくことができたのです。

ちなみに、棚卸しでは棚卸表を使います。棚卸表を使わずに、今までの人生の物語をストーリー形式で書き出すライフストーリー形式の棚卸しも私はやったことがあるのですが、私には効果はありませんでした。

では一回やって棚卸しは終わり?

結論から言うと、古い生き方を明らかにする棚卸しを一回やって、それからステップ10で毎日棚卸しをしなければ不快感情はまた溜まりますのでスリップは避けられませんし、古い生き方、つまり問題の中に逆戻りします。霊的目覚めは失われるということです。不快感情+強迫観念=スリップ、と私は確信しています。強迫観念が襲ってくることは「変えられないこと」(治らない)なので、いかに不快感情を暴走させないか、暴走した時はすぐに健康な心に立ち返るか、が明暗を分けます。

ステップ4、5の棚卸しとステップ8、9と祈りを使って私たちは今まで抱えていた恨み、恐れ、罪悪感、後悔という不快感情を手放し、神の力により解放されます。しかし、これからも人生の営みは続きますし、霊的に目覚めてもスーパーマンになり自動的に不快感情を抱かなくなるのではありません。それは回復ではなく治癒であり、成長ではなく完成ですので、神ではない私たちができることではありません。

なので、私たちは日々、自分の中の不快感情(恨み、恐れ、罪悪感、後悔)を見張り続ける必要があります。「見張る」といっても恨みなどを感じて「こんなこと感じちゃいけないんだ!」と押し込めて「抑圧」することでは決してありません。その使い慣れた手を使うと不快感情はさらに暴走し、人生は引き続きどうにもならなくなり続けます笑

なので、私たちは否認、抑圧という使い慣れた手ではなく、ステップ10の日々の棚おろしを使うのです。具体的には、ステップ4、5で学んだ棚卸しの方法を使って、毎日自分自身を見張ます。最初は自分でできないかもしれませんが、軌道に乗れば、スポンサーやシェアリングパートナーに毎回助けてもらうこともなくなるでしょう。私たちは成長し自立していくのです。

具体的にどうしているのか

私はステップ4、5の棚卸しをバックトゥーベーシックス(B2B)の「資産と負債の棚卸表」とジョー&チャーリー、リカバリダイナミクス「本能と性格上の欠点を使った棚卸表」の二つの棚卸表を使い分けて行いました。具体的にはスポンサーと行った初めての棚卸しではB2B「資産と負債の棚卸表」を使い、その後に行ったシェアリングパートナーとの棚卸しではRD「本能と性格上の欠点を使った棚卸表」を使いました。これは私の場合であり、人それぞれです。

ですので、上記二つの棚卸しの原理を日々の棚卸しで使っています。

具体的には、「本能と性格上の欠点」を使用して即座に棚卸しをする時はジョー・マキュー『回復の「ステップ」』(赤本)p.131にある「恨み、恐れ、罪悪感、後悔」(不快感情)から「どの本能が傷ついたか」へ、そこから「性格上の欠点(恐れ・身勝手、不正直、利己的、配慮の欠如)」のどれを使ったか、という流れのスポットチェックを7ヶ月以上使用しています。

また、B2B形式の棚卸表 (心の家路 ひいらぎさま翻訳)を夜と一月の振り返りとして使っています。

これは、毎日行うものであり、特に1番目の棚卸し方法は恨み・恐れ・罪悪感・後悔を感じたらすぐにその場で行うものです。それにより、ステップ4、5で起こったことを毎回再現し、狂気から健康な心(自分自身についての真実を知っている状態)に立ち返ることができます。私の日々の肉体の・感情のシラフはこの積み重ねです。

つまり、棚卸しは毎日自分でできるようになることが目標

不快感情を感じたとき、私たちのそばにいつもスポンサーやシェアリングパートナーがいてくれるわけではありませんし、すぐにもう一人の人と棚卸しが毎回できるはずがありません。ですが、不快感情を避けることはできません。

私たちはステップ6、7で新しい行動パターンを今日一日全力で使い、性格上の欠点を使わないことにより不快感情を暴走させないようにするプロセスに入りますが、どうしても不快感情が暴走するときはあります。なので、ステップ10を強力な習慣として自分のものにすることは生命を分けることになります。

「ステップ4、5で手放したはずの恨みや恐れが戻ってきた!しかしどうしていいかわからない!」となってスリップしないようにするには、ステップ10が欠かせないということです。ステップ10でもたらされる恵みはただ「スリップしない」ことにつきません。私たちはステップ10とステップ11で平安を知り、健康な心とはなにかを知るのです。

霊的に目覚め、7ヶ月間できうる全力でステップ10、11、12に取り組み気づかせていただいたことがあります。それは「健康な心」とは何か、です。「健康な心」とは、「自分自身についての真実を知っている状態」です。そして私にとってのその「真実」とは「最も頼りにしてきた自分は実は何の力もなかったのだ。自分自身を傷つけ、その結果、他者や社会を傷つけてきたのは他ならぬ自分だったのだ」という真実です。この真実を自分を責める目的ではなく、真実として心から納得している状態が私にとっての「霊的目覚めから始まった霊的状態を保つ」ことであり「健康な心」でいることです。

ちなみに、「健康じゃない心」はこれの反対であり、霊的目覚めを得る前の状態。つまり「自分は自分だけでなんでもできる!そしてあいつが私を傷つけたのであいつらが悪いのだ!」と意識的・無意識的に思っていることです笑 これでは人生はどうにもならないままであり、神の力を遮断し霊的な防御を失うので、スリップは避けられません。

私たちが今日一日、聖くあれますように