しましまな日々

12ステップを通じた問題からの回復について

自分なりに理解した神ってなんだろう?

私たちは12ステップにおいて「自分なりに理解した、自分なりに理解できる神」が自分を健康な心に戻してくれると信じて行動(ステップ4-12)し、その力と出会い(霊的体験・目覚め)、その結果として人格が変化(回復)します。

その「神」はどのようなものなのでしょうか?12ステップの成立に大きな役割を果たしたW・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』を読了し、強い感銘を受けたので、そこから少し引用してまとめてみました。

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12ステップは「変化」のための霊的道具

ビッグブックに明記されている解決策は12ステップ共同体の「支え」と12ステップの実践を通じた霊的目覚め・体験・変化による人格の「変化」です。言い換えれば、「支えと変化」と言えるでしょう。

つまり、12ステップは現状維持や単なる癒しのプログラムではなく、変化のプログラムである、ということです。そしてそれは霊的プログラムでありますので、自分で自分を変化させるのでもなく、特定の神が自分を変化させるのではなく、自分なりに理解できる神が自分を変化させてくれるというものです。

神の概念も当然成長・変化する

そこで、私たちは自分なりに理解した神との意識的触れ合いを深め続けます。その過程は行動のプログラムであるステップ4から9を継続のプログラムであるステップ10において毎日使い、自分の大掃除を深め続けることを前提にして、ステップ11で神と触れ合い続け、ステップ12で無償で与えられたものを無償で手渡し続けることです。

そこで私は考えた問いがあるのですが、それは「毎日ステップ10、11、12を使い続ける中で、自分なりに理解した神の概念は変化しないだろうか?」という問いです。私の経験からのその答えは、「変化しないわけがない」というものです笑 それは、ビギナーズミーティングのアウトラインである「B2B」テキストにもそれは明記されています。

「今こそ、新しい『神の概念』を発展させていく時です。私たちは、ステップ10、11、12に毎日取り組むことで、それを行います。」p.157 太字強調筆者

 

1年前の私の持っていた神の概念、7ヶ月前に霊的目覚めをえた時の神の概念、そして現在の神の概念は異なっています。そして、これから先もさらに豊かに変化してくと感じていますし、それは当然のことだと感じています。なぜなら、霊的目覚めは一回限りの現象ではなく、深まり続けるものであるからです。私たちのプログラムは霊的完成ではなく、霊的成長を目指すプログラムです。

ただ、私も誤解したことがあるのですが、12ステップは「信じたらあとは神がなんとかしてくれる」というプログラムではありません。それでは、宗教的プログラムになってしまいます。霊的プログラムは「信じて、自分が行動する」というものですので「信じたのに人生が変わらない!」という場合は、行動(ステップ4−12)ができていないケースがあると私の経験からも感じています。なので、ステップワークをすればいいのですね。私はそうでした。

神の概念内容を私たちは議論しない

では、私たちはミーティングにおいて、自分が信じる神の具体的・神学的内容を議論するでしょうか?私はしませんし、積極的にしたくありません。それはぞれぞれがプログラムの中で出会い、体験し、深めるものであるからです。

そのところを巧みに論述しているのがW・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』です。ジェイムズがいうように、宗教的経験の果実(結果)を得るために私たちが信じる対象は、必ずしも唯一無二 、絶対、無限、全能である必要はないのです(もちろん、そうであってもいいのですがそうでなくてもいいわけです)。そしてその果実(結果)は人格の「変化」であり、その人格の「変化」は人生において肯定的な変化です。(『宗教的経験の諸相』下巻 pp.338-339 参照)

ジェイムズが神学的論理内容を「過剰信仰」と表現しているのには笑いました。私たちはともすると「過剰信仰」を語りがちになってしまいますが、少なくともそれはビギナーのためにはならないのでしょう。Keep it simple!ですね。AAミーティングで「過剰信仰」な神学議論をみんながゴリゴリし始めたら、どんどんビギナーが死んでいくでしょうし、AAは滅びるでしょう笑

 

ただ私たちは「神が私になにをしてくれたか」は大いに分かち合うものだと思います。それが経験と力と希望の一部となるからです。同時に、かつて私たちがどうであったか、なにがおこって、いまどうなっているのか、という分かち合いの基本の中に「私の神の概念は神学的にいかなる存在か」を私は話す必要を感じていません。

そんなミーティングでの「神の概念内容はなるべく踏み込まないけど、神が私にしてくれたことは語るよ」という独特の緊張関係が私はとても好きです。

じゃあ12ステップの信仰ってなんだろう?

宗教じゃない霊的信仰ってなんだ?と思われることもあるかと思います。それに関して、トルストイが明確に表現しています。

「信仰とは生命の意味である。人間を自滅させることなく生きつづけさせることのできる意味である。われわれが生きていくための力である。」(『宗教的経験の諸相』上巻 p.279からの孫引き)

これで十分!といった感じですね笑

この開かれた霊的な神の概念の可能性(それぞれが自分なりに信じられる神)を自分の経験に即してシンプルに伝える努力をするのも、スポンサーとしての役目だろうし、またミーティングでの自分の役割だと私は思うのです。恐れることなく、自分を回復させてくれた霊的な信仰についてついて分かち合いたいものです。そして、その基本ラインはビッグブックにしっかり書かれていました。

 

私たちが共同体からの支えを今日一日、豊かに受け取ることができますように