しましまな日々

12ステップを通じた問題からの回復について

ステップ4・5で私が教えられた重要なこと

私たちはステップ1で初めて飲酒(等)の生死の問題に直面し、ステップ2で解決を信じ、ステップ3で自分の意思と生き方の問題に直面します。

そして自分の意思と生き方を神の配慮に委ねるための行動の一歩としてステップ4・5自分の意思と生き方の棚卸しを行います。そこで私はある重要な一点を教えられることになりました。

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ライフストーリー形式の棚卸しの注意点

ビッグブックにおけるステップ4・5の棚卸しにおいては、表を使います。ライフストーリー形式の棚卸しがあるのも承知していますが、最近、ライフストーリー形式の大きな問題に意識が向くようになりました。

私はビッグブックの12ステップに取り組むずっと以前に、医師を相手に長い長いライフストーリー形式の棚卸しを実行したことがあります。その経験も踏まえて感じるのですが、ライフストーリー形式の棚卸しの欠点の一つは、幼少期の虐待体験や性暴力などの被害・トラウマ体験をも棚卸しの内部に含めてしまい、ステップワークが停滞することがあると感じています。

 

私はこれまで、いく人かの表を使った棚卸しを見させてもらいました。そのようなシェアリングパートナーにも、またスポンシーにもまずお伝えしていることがあります。それは「ステップ4・5において幼少期の虐待体験や性暴力被害等は棚卸しの対象外とします。フラッシュバックや解離が重大な問題となっているならば先延ばしせず、速やかに専門医や専門家の治療を受けてください」ということです。

12ステップは自分の利己心からくる行動(性格上の欠点)とそこから発生する感情(恐れ、恨み、罪悪感、後悔)が「神と私たちの間にある障害物」であるとして、それらを掃除します。しかし、幼少期の虐待経験や性暴力被害それ自体は利己的振る舞いが招いたものではありません。またスポンサーとしての私にはそのような被害体験を扱う専門スキルはありません。

しかしライフストーリー形式の棚卸しは、スポンサー側に余程のスキルがないと幼少期の被害体験を無防備に再体験させてしまうことになります。これは精神科の医師(トラウマ治療の専門医でない)相手にライフストーリー形式の棚卸しを実行した私の実体験でもあります。

医師でもできない人がいるのですから、12ステップグループのスポンサーではほぼ無理だと思っていますし、スポンサーがそのスキルを身につける必要性もないと思っています。激しい解離や激しいフラッシュバックがある場合は、速やかに臨床経験の豊富な専門家を頼ればいいのです。スポンサーとのステップワークはそれと並行して、もしくはその後にできます。

 

無防備な再体験をしてしまうと、ステップワークがそこで停止・中断になり先に進めなくなる可能性があります。そうなると、12ステップが全体として機能しなくなってしまうので、それが一番の問題だと思います。被害体験への恨みや恐れなどの棚卸しは、スポンサーとの最初のステップワークが終わり回復の軌道に乗った後で、成長のプロセスの中でさまざまなサポートを受けながら、時間をかけてすればよいのではないか、と感じているのです。どんな形であれ、恨みや恐れは神との間の障壁になりますが、無理に取り組んで一歩も進めなくなることは避けたいと思います。

表形式であれば、被害の再体験の危険性をあらかじめ避けること・低くすることが可能です。それが、私がスポンシーやシェアリングパートナーとのステップワークで表形式を使う理由の一つでもあります。

棚卸表は自分で苦労して書くことが大切だった

私が昨年、スポンサーとステップワークを行った時はB2Bにある棚卸表をメインに使用しました。その後、リカバリーダイナミクスで使用されている棚卸し表も使用しました。現在、私がスポンシーとのステップワークで使用する表はリカバリダイナミクスで使用されているものを使っています。

棚卸表は自分のこれまでの意思と生き方の棚卸しをするものです。懺悔や告白ではありません。重要なことはこれ以降のステップに進むための重要な情報と必要な気づきを得ることであり、それがこの作業の目的だと思っています。実際に生き方を変えていくためのステップである4・5以降のステップのための情報と気づきがここで得られるのです。情報とはこれまでの意思と生き方のパターンを知ること、そして気づきとは視点の転換であると感じています。

 

私自身のステップワークの経験では、ここで自分で苦労してビッグブックに添おうとしながら「自分の欠点だけを断固として厳しく見つめる」努力をすることがとても大切でした。もちろん、完全などということはあり得ません。しかし「自分は棚卸し表を書くことに現在の自分の全力を尽くした」という実感とともにステップ5に進みました。「これ以上どうしろっていうんだ!?」みたいな感じです笑

そしてスポンサーやその他の人にそれを見てもらうのですが、そこでいろいろ「実はこれはこうではないか?」的なツッコミをもらうことになります笑 しかし私はそこで重大な気づきを得ることができました。

それは「今まで自分のことは自分が一番よくわかっている・他人に自分の欠点を隠せている、と思っていたが全くそんなことはなかった。むしろ他人から見た評価や指摘の方がはるかに現実的で正確で的を得ている」という有無を言わせぬ実感です。これは当時の全力で棚卸しを自分で書いて、その後で他者から指摘してもらうことで気づけたことです。なので、ステップ4・5の棚卸しは自分で苦労すればそれだけの結果が得られると考えています。これは私の視点の転換の重要な一部分となりました。

 

ただ、完璧主義に陥って時間をかけては元も子もありません笑 私はなるべくスピーディーに、しかし慎重にやる必要がありました。私の場合は自分で書き始めて約1ヶ月で恨みと恐れの棚卸し表を仕上げて、ステップ5に進んだのを覚えています。性の棚卸し表はその後しばらくして書き上げました。

その後、私はステップ4・5以降のステップに取り組みながらも、必要が出てきたら適宜ステップ4、5に戻って棚卸表を書いて、もう1人の人と話し合っていたのを覚えています。なので一回で終わる!といったものではありませんでしたし、これからもそうでしょう。ここらへんは人それぞれスポンサーと要相談ですね。

張り巡らしていた自己防衛の否認が解かれはじめた

上記の気づきで私の自己防衛の否認が解かれ始めました。それは別に自分の欠点を神と自分自身ともう1人の人に認めても世界は崩壊も破滅もしなかったからです笑 今振り返るとわかりますが、私は自分の欠点がバレようものなら、世界も自分も破滅すると本気で思っていたのです。

日々の生活は続き、そしてステップ4、5で得た重要な情報、つまり自分のこれまでの性格上の欠点を組み合わせた生き方のパターンを知り、ステップ6、7以降に進みそれに日々取り組み、人間関係も自分自身との関係も神との関係もどんどんよくなっていったからです。つまり、依然としてなんやかんや課題や苦労はあるけれども、はるかに生きるのが楽に、幸せになっていきました。

「あれ?自分が自分を守ろうと必死こいてやってたことってなんだったんだ?実は役に立たない防衛だったんじゃないか?」という感じです笑 私が霊的目覚めにより与えられた大きなのギフトの一つはこの気づきです。自分が全力でやっていた否認による自己防衛の役立たなさ、無意味さが生まれて初めて実体験として感じらたことにより、否認の必要性がどんどん薄れていきました。

現在の私の中にも、なんらかの自己防衛のための否認はまだたくさんあるでしょう。しかし、それを自分の力で無理に解こうとは思っていません。このプログラムを実行し続けるならば、神がそれをふさわしいタイミングで教えてくれると信じ、感じているからです。

ステップ3の決心をどれだけ心に刻めたか

ジョー・マキューは

「ステップ4の作業がここまで来ると、その前のステップ3に誠実かつ十分に取り組んでおくことの大切さに気づくだろう。回復のプログラムのこの部分を首尾よくやり遂げられるかどうかは、ステップ3の決心をどれだけ真剣に胸に刻み込んだかによる。」ビッグブックのスポンサーシップ p.93

と言っています。私も同意見です。そしてステップ3の決心が十分に誠実かつ真剣なものになるためには、ステップ2と1を理解していることが不可欠です。ステップは連動しています。

また、ステップ4・5の棚卸しは生涯にわたる毎日の棚卸しの始まりです。なので、棚卸しは一回で終わるのではなく、毎日するものです(ステップ10)。一回やれば終わる完全無欠な棚卸しはあり得ません。なので私たちは自分についての真実を求め、知り続ける必要があるのだと思います。

ステップ3で決意を心に刻み、私たちはステップ4から10で自分自身の掃除をし、またし続けます。そしてステップ11でステップ3において求めた神の配慮・意思を実際に体験します。そして、戦いは終わるのです。

 

今の私にとっての「健康な心」は12ステップに取り組み始めた時の意味とは違っています。当初は「強迫観念に騙されない心=スリップしない心」がそうでした。それはもちろん重要かつ重大なことです。しかし同時に、新たな意味を今は感じています。

現在の私にとっての健康な心とは「自分についての最低限の真実を理解している状態」です。その最低限の真実とは「私は神を演じてきたが、私は神ではない。しかし自分を超えた偉大な力である神が、自分の問題を解決してくれているのだ」ということです。これが私の信仰の確信となっています。そして私が現在感じている幸せと安らぎの土台でもあります。

 

アディクションを使わないで生きるために始めたプログラムで、使わないで生きるだけではなく、私は神に出会いました。そして神と出会うと同時に、自分自身、周囲の人々、社会と出会いました。私はもう独りではないのです。

「あなたの天なる神は、決してあなたを失望させることはなさらない!」-Dr.Bob