仕事、変化、あいかわらず
最近は3年ぶりに始められた仕事をけっこう喜びを持ってやっています。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
このブログが生まれた理由
昨年の9月にこのブログを開設したときのコンセプトは英語版ビッグブックの「個人の物語」を自分の物語を使って書いてみよう、でした。
ちなみに、英語版ビッグブック第4版の「個人の物語」は『回復の物語』としてJSOが翻訳・出版しているので、ぜひ。
僕が参加した日本のAAミーティングでは「神が自分を健康な心に確かに戻してくれたのだ」という分かち合いを聞くことは稀でした。僕が12ステップに取り組み始めたとき、そのことがとても気がかりで不安で心細かったのをはっきりと覚えています。
「スポンサーも見つけて、いまからビッグブックのプログラムとやらをやるが、それで回復した、確かに霊的に目覚めた、霊的体験をしたという話を聞かない。また、神が自分を健康な心に戻してくれたという話も聞かない。12ステップって本当に効果あるんだろうか、霊的目覚めって本当にあるんだろうか、回復ってあるんだろうか、本の中だけのことではないか」とかなり強く思っていました。
そんな中でもスポンサーにビッグブックの
「いまの私は、前の生き方よりもずうっと充実していて、人の役に立つ生き方ができるようになったと言えると思います。昔の生き方も決して悪くはなかったけれど、あのころの最高の瞬間であっても、いまの最悪の瞬間とさえ引き換えにしようとは思わない。決して戻ろうとは思いません。」(p.63)
というフレッドの話を指差して「この意見は○○さん(スポンサー)も本当にそうだと言えるんですか!?」と半ばヤケクソのケンカ腰に尋ねたところ「俺は確かにそうだ!」と言ってくれたので、とりあえずそれを、しがみつくように信じることができました。
彼の飲んでいた頃の話は「あんたも確かにアル中だよな」と思うに十分な話でしたが、その彼が神の力によって回復したと宣言しました。それで「信じてやってもいいか」程度は思えたのです。
その後、12ステップを実践する中で、自分もその「霊的目覚め」を経験し「確かにそうだ!」と言えるようになりました。神の恵みがなかったらば、スポンサーも私も死んでいたか、なんとか何年かずるずると飲まないでいるだけだったのが関の山だったでしょう。飲んでないだけ、というのも地獄です。
ですが、相変わらず「神が私を変えてくれた」という分かち合いを聞く機会はあまり多くありません。もし、かつての私のような不安を感じているアルコホーリクがいたならネット越しでもスポンサーが僕に言ってくれたように「確かに俺もそうだ!」と言いたい、自分が経験した事実を伝えたい、と強く思いました。
ミーティングではステップ1と2の話をすることができますが、それではメッセージを運べる人数も限られてきます。ですので、このブログを開設してそんなこんな自分のステップ1と2の話を書いていたわけです。
ジョー・マキューも書いていますが、12ステップの「解決」である「霊的体験・霊的目覚め」を得たら、自然とそれを人に伝えたくなるものです。(緑本 p.156)
今思うこと
さて、けっこうブログで書いてきたので、もうここらでこの話はいいかな、と思ってきました。それは変化と受容の霊的成長の旅が終わったということではありません。
ただ、最初の1年で与えられたことを最低限表現できたかな、と思うのです。かつての僕と同じ人に伝える言葉はここらで十分でしょう。あまりくどくど言うのも説教になってしまいます。シンプルに一言でもいいのです、「確かに俺もそうだ」と。
読み返すとまぁ、なんというか、つたない文章なのですが、今後もつたないもんしか書けないし、まぁそのぶきっちょな熱意もなかなかいいので、変えずにおきます笑
それに、特にスポンシーを与えられたことがきっかけとなって12ステップへの向き合い方も以前とは大きく変化しました。最初の1年が過ぎ、少しずつ力みも取れてきたこともあります。
これからは、そんな変化や霊的目覚めを得たと言っても、相変わらず神ならざる自分がおっかなびっくり感じていることや、試みていることを書いていきたいな、と思ってます。
ちなみに
ちなみに、ここ一年での意見の変化をまとめると「12ステップは神を信じるプログラムというよりも、それ以前に、自分は神ではないことを信じ、知るプログラムである」というあたりになります。
まぁ、神を信じている人は多いのかもしれませんが、自分が神でないことを信じ、知っているのとは違う、ということです。
だって、自分が神じゃないことを知り、体験しなかったら(ステップ1から10で)、神を知り、体験(ステップ11で)できないじゃないですか。
さて、そんなこんなな日々です。夏ですね。