しましまな日々

12ステップを通じた問題からの回復について

いいひと、わるいひと

僕も勘違いすることがあるのですが、霊的変化とは「いい人」になることでも「わるい人」になることでもありません。品行方正で人に好かれる人になろうとも、ピカレスク的な悪漢を目指そうとも、それはビッグブックに書いてある「アルコホリズムからの回復」を意味しません。

なぜなら、いい人になろうともわるい人になろうとも、スリップするからです。ステップ1はそれを指し示していますし、いい人/わるい人を目指すと言うのはステップ1・2がすっぽ抜けてしまっているわけです。

スポンサーの落とし穴

自他の棚卸しを見てると「ああ、なんで自分(彼)はこんなにひどい性格上の欠点を放置しているのだろうか。もっともっとがんばって、その欠点を取り除かないといけない」とフラストレーションを貯めることがあります。

まぁ、そのフラストレーションを感じることは人ならばあることかと思いますが、12ステップ的には大脱線です。上の括弧内、よく読んでみてください。主語が全部「人」です笑

これはまさに落とし穴で、いつの間にか人の力で「いい人」になろうとして、ステップ1・2なんて空の彼方へ吹き飛んでしまっています。結果、「スピリチュアリティってなんだっけ?」となります。いや、僕もよくやりますよ。

わるい人をめざす落とし穴

では、「いい人になるプログラムじゃねえよな!」とチョイ悪ノリを目指すとどうなるでしょう。これも主語は「人」なわけです。自分の力でワルを演じるわけですので「いい人」を目指すことと何ら変わりなくステップ1・2は空の彼方に吹き飛んでいます。

ありゃりゃーってな感じですが、これもありがちです。まぁ私たちはそんなもんであります、とほほ。

ビッグブックはどう言ってたっけ

12ステップは「いい人になるためのプログラム」だと勘違いしていたことが僕にもありました。とんだ困ったちゃんですが、今でも勘違いするときもあります。

でもビッグブックはそんなこと言っていません。

「よい道徳や人生哲学があれば飲酒の問題が克服できるというのであれば、私たちはずっと昔に回復していたはずである。けれども、道徳や哲学にどんなに真剣に取り組んでも、助からなかった。道徳的に生き、哲学に心の安らぎを求めようと思い、一所懸命に決意を固めたのに、私たちに飲むのをやめるのに必要な力は与えられなかった。人間の意思ではどうにもならなかった。何に役にも立たなかったのである。」A.A. p.66

いい人になっても、わるい人になっても、スリップします。アリコホリズムは自己啓発でなんとかなるものではありません。

ステップ1・2は、「いい人/わるい人になったらアルコホリズムから回復する!」とは言ってませんでしたよね。

じゃあどうすんよ

じゃあどうするかって? 

僕は今、次のように考えています。

霊的体験・霊的目覚めによる「変化」とは、本人の側から見れば「神と触れ合って、神が助けてくれた」という感覚で表現され、周囲から見れば「人格が変化した」と見える、本人・周囲にとって見え方・受け取り方が違う同一の現象である。

 だから、本人である私たちが目指すのは神(自分を超えた力)を見つけることであって、人格を自分の力で変えることではありません。神と触れ合えば、神が変えてくれますよ。

 第一のことは第一に

「人格の変化」の評価は周囲の方々に任せておきましょう。あなたが体験した霊的体験・霊的目覚めが深く効果的な本物であれば、それは客観的実在性を持ちますので、おのずと周囲から見ても明らかなものになりますよ。

あなたはそのとき、人の評価うんぬんよりも「自分には決してできなかったことを神がやってくれているのだ」と深い思いを込めて確信するでしょう。

 

私たちは周囲からの評価よりも、神を見つけ、触れ合うことに集中すべきです。ようは「霊的体験・霊的目覚め」を得ることに集中すればよろしい。得た人はさらに深めればよろしい。 

では、神を見つけるにはどうするか、、、、それはビッグブックに書いてあります。ぜひスポンサーとステップワークを深めていってください。霊的体験・霊的目覚めを確かに得た人はスポンサーを務めてください。

 

どんな結果が与えられるのか話し合うよりも、まずは体験することです。

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