しましまな日々

12ステップを通じた問題からの回復について

ミーティングでプログラムの分かち合いを続けると何が起こったか

12ステップグループのミーティングはクロストークを排したディスカッション・ミーティングが多いと思います。日本では「言いっぱなし・聞きっぱなし」と言われることもある形式です。

私もそのディスカッション・ミーティングを主にミーティングへの出席を今も週に複数回続けていますが、昨年(20年)9月から私は自分の発言の内容を変える試みをしてきました。それまでは話す順番になって話しながら内容を考えていたのですが、それではどうしても私の場合はダラダラして要点を得ない話になってしまうし、なにより「このメッセージを伝える」という視点から見て要領を得ない話をしていては意味を感じられないという思いがありました。

自分自身に正直になるならば、私はそのような要領を得ない分かち合いは自分自身のためにもしなくない、と強く感じました。 

 

そこで「かつてどうであったか(強迫観念と渇望現象による絶望的状態=自分のステップ1)、そして何が起こって(プログラムを実践する中で自分が霊的に目覚めた事実)、今どうなっているか(その結果何が変化しているのか)」を軸に話の内容を組み立てるようにしました。これは最初はなかなか思うようにいかず、前日に話の内容をメモに書き出す、ミーティング前に書き出しておき推敲する、などの「書くこと」の繰り返しでした。

具体的にはこちらの記事に10月時点での試みを書いています。今現在はこの当時の内容からは変わった部分もありますが、大筋は「いかに12ステップにおける解決を伝えるかに注力する」であるところは変わっていません。また、私のやり方は私にあったやり方であり、人それぞれのやり方があるでしょう。

 

そして、大体3ヶ月の間ミーティングに「このメッセージを届ける」ことに集中した結果、基本的な流れを頭の中で自然と整理でき始めている自分に気づきました。

現在はその試みを初めて5ヶ月ですが、そのような試みの結果、何が起こったのかを整理させていただきたいと思います。もしどなたかのご参考になれば、とても嬉しいです。

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1.プログラムに関係ない脱線話が減った 

それまで私がミーティングで話す内容は、どうしても「自分のやらかし話」や「自分の可哀想な話」「笑いをとる話」などがどこかに入ってきていました。けれども、別にそれを話したところで自分のステップワークに特に良い意味がないと思ってます。理由は私がそれを話したところで私自身はスッキリもしないし、平安も学べるところもないからです。

このかんの試みで、その「12ステップのメッセージと関係ないどうでもいい話」の割合がとても減ったように感じています。ようは12ステップから脱線することが減ったということになると思います。

「かつてどうであったか、何が起こって、今どうなっているか」に集中すると脱線にエネルギーを割いていることが難しくなりました。結果として「なんであんなこと話したんだろう」と後から後悔することもほぼありません笑

2.短くも長くもプログラムについて話せるようになった

それまでだらだらと話していたときは、自分の話の内容を事前に考えることや後から反省することはあまりありませんでした。それでは、メッセージを的確に伝えようと努力する力は私にはつかなかったのだと思います。

今はプログラムについて3分でまとめることも、OSMで30分以上話すことも凄まじい苦労はなくできるようになってきました。それはこの5ヶ月間、自分のミーティングでのメッセージをなんとか構築しようと書き出し、書いて話したものを振り返り続けたことが大きいと思います。もちろん、完全にできるなんてことは幻想ですので、これからも努力と訓練を続けていくことではあります。

3.他のメンバーの話が飛躍的に聞けるようになってきた

かつて私はミーティング中に「当たったら何を話そう、えーっと」や「これだけは話したいな」みたいに自分のことを考えていることが多かったです。その自分のことにかかりっきりで余裕のない状態では、なかなか他のメンバーの話が頭に入ってこないというのが実際のところでした。

今は「神の意思ならメッセージは伝える努力はできるだろう」と感じており、以前にくらべてとてもリラックスしています。なので他のメンバーの話を聞いて「これは自分のことを言ってくれているのだ」とか「そういう考え方があるのか」など学びを得ることが飛躍的に増えました。自分の話の内容で両手が塞がっていたときは受け取れなかった素晴らしい贈り物を与えていただき続けています。

4.他のメンバーに話しかけていただくことが増えた

他のメンバーの方に「ステップ○のあの話をもう一回聞かせて」とか「あの内容はどういう意味だったのですか?」など、私の分かち合いを聞いていただいた方からお声がけいただく機会が増えました。これは「このメッセージを伝える」努力をする立場からはとても嬉しくありがたいものです。

5.自分の日々の棚卸し、統合作業の幅が広がった

腕組みしてうーむと悩むことは相変わらず多いのですが、そんなとき「あ、この状況は前自分が話したことと同じだぞ」とか「これはあの人が言っていたようなことではないか?」と気づきが与えられるようになりました。そこで行う日々棚と統合作業の幅が広がりました。これは本当に共同体と神から与えてもらっている素晴らしい贈り物だと思います。

6.他のメンバーの話を裁くことがすごく減った

以前は自分が気に入らない話を他のメンバーがしているとイライラして「だからダメなんだよ」とかよく思っていましたが、今は特にそういうことを思う機会がぐっと減りました。「自分はこのメッセージを伝える努力をさせていただける素晴らしい機会が与えられているのだ」とけっこう自然に思ってきているからだと思います。

「こうでなければダメだ!」という強い思い込みは今も私の中にあると感じるのですが、そこにこだわることにそこまで興味がなくなってきました。それより自分のメッセージをどう言葉にするか、他のメンバーがなにを伝えようとしてくれているのか、に意識を向けるほうが楽しいのです。

しかし完全にイラッとする機会がなくなったわけではありませんが、すぐに忘れてしまうようになりましたし、なによりイラッとしている自分を笑えるようになりました笑。

 

受けることも幸いだが、与えることはさらに幸い

昨年9月からの、この5ヶ月の試みの中で感じたことは、共同体から与えていただくこともとても素晴らしいことだけれども、与えようとすることはまた違った次元の素晴らしさが与えられるのだ、ということです。ミーティングが終わるたびに、私は私なりに理解できる神の愛を感じています。

12の伝統の伝統12には「各個人よりも原理を」と謳われています。私は自分自身を大切にする努力を今日一日、神と共にさせていただく中で、自分の過去を誇張したり、自慢したり、笑いのネタにしたり、蔑んだり、憐れんだりするのではなく、この回復の原理であるプログラムを伝えるためのかけがいのない材料としたいと願うようになりました。

もちろん、これは目標であり、プログラムと同様完全にできると言ったものではないのだと思います。しかし、目標に向かって努力する中で与えられるものは素晴らしいものだ、と今私は思っています。

 

私たちが受けた偉大な恵みに決して甘んじることなく、私たちのすべての者を導く神への感謝の思いのうちに、永遠に生きることができますように。